【伊藤幸弘の子育てアドバイス】#89 子どもの発言にイライラしなくなる方法
おはようございます。
伊藤幸弘です。
本日も子育ての悩みから、
ひきこもりや非行など、子どもの問題行動に
悩む親御さんに役立つ情報をお伝えします。
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前回のおさらい
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前回は、私が喧嘩で
指名手配されてしまった際の
お話をお伝えしました。
私の非行は
本当に後戻りできないくらいに
悪化していました。
思い起こせば
母親が亡くなったことが
全ての始まりでした。
人一倍、愛情を求める私は、
母の死をきっかけに、
一気に愛情に飢え始め、
そしてついには
指名手配をされるまでに
なってしまったのです。
『親からの愛情』
は子どもが健全に成長するための
何物にも代えがたい
本当に重要な要素なのです。
あなたには、ぜひ
私が辿ってきた人生をご覧いただきながら
その重要さに気づいて頂きたいと思います。
それでは本日は
私が名古屋へ逃亡する場面からお届けします。
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本日のテーマ
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指名手配された私は
逃げて逃げて、
名古屋にたどり着きました。
そして、
「自分は逃亡者だから見つかるとまずい。
パチンコ屋は足がつきやすいから
駅の地下街に潜って
フルーツパーラーで働くこう」
と考えました。
採用面接ではある事ない事を
ペラペラ喋って
店長を信用させました。
フルーツパーラーと言っても
実際に働いてみると
厨房のコックの人たちはまるで
暴力団関係者のような人ばかりでした。
でも、
ウエイトレスの女の子達はみんな良い子で
特に私と仲の良かった子は可愛いくて
彼女とはときどきデートをしました。
そこでの生活が3週間を過ぎても
父や姉には連絡しませんでした。
「逃亡者」を自覚しているので
交番の前を通る時は身を隠し、
なるべく駅の方には
出ないようにしていました。
しかしある日、
仲の良い友達に電話で連絡をすると
「おまえの叔母さんが病気だから
すぐ帰ってこい」
と言われました。
「叔母が病気・・・」
私の心は揺れました。
母が死んでからというもの
面倒をかけっぱなしの
叔母が倒れたとあっては
「すぐにでも帰らなければ」
と思いました。
このとき私はあることに気づきました。
実は心の奥底では
地元に帰るタイミングを
待っていた自分がいたのです。
一般的に、非行に走って家出した子も
実は、家に帰るきっかけを
待っていることが多いのです。
ただ、問題はその時の対応です。
これが本当に難しいのです。
結局、私は横浜に帰ることにしました。
仲の良い女友達に3万円借りて、
夜逃げ状態で
世話になった店を後にしました。
すっかり名古屋での生活に慣れて
店の先輩たちとの関係も
楽しくなってきたときだったので
少し未練もありました。
住めば都という言葉通り、
がらの悪い先輩も
親切にしてくれるようになっていたし、
仲の良い女の子もできていました。
そんな私の複雑な思いを乗せて
電車は横浜に着きました。
そして、
友達と待ち合わせをした場所に行くと
そこには、なんと
病気のはずの叔母がいるではありませんか。
叔母は涙に光る目で
私を見つめています。
私はまんまとはめられたのです。
後から聞いた話では、
叔母が私の友達に小遣いをあげて
私に連絡するように頼んだということでした。
友情も金には勝てなかったということでしょうか。
いいえ、おそらくは友達なりに
私を心配してくれてもいたのでしょう。
叔母に連れられ地元に戻った私は
叱られてばかりいた父の所には行かず、
親戚の家に行きました。
そこには見たことのないほどの
ご馳走が山のようにありました。
叱られる覚悟をして
小さくなっていた私は、
拍子抜けしてしまいました。
みんなに暖かく迎えられて
美味しいものを食べると、
なぜか心が豊かになってきました。
美味しい食べ物もさることながら、
姉たち、叔母夫婦、
親戚の人たちの温かい気持ちが
伝わってきて
私はホッとしていたのです。
満腹になり風呂に入ってさっぱりした後、
「やはり父とは暮らせない」
という私に
叔母夫婦は
「うちの運送屋で働け」
と言ってくれました。
叔父の会社とは言っても
父の居る家が目と鼻の先にあったのですが、
それでも私にとっては
父のところに戻るよりずいぶんましでしたし、
何よりその叔父の言葉がとても嬉しかったです。
その後、喧嘩で指名手配された件で、
少年院送致されましたが、
模範生としてわずか4ヶ月で退院しました。
退院後、高校を中退して
運送会社の助手になった私は
我ながらよく働いたと思います。
周りの先輩たちとも
あまり年齢が離れていないせいか、
楽しい毎日を過ごしました。
それでも
仕事のローテーションはまちまちで
日勤も夜勤もありましたし、
1週間地方に出たまま帰らないことや、
トラックで寝ることもあったりと、
かなりハードでした。
そんなハードな毎日でも、
仕事が休みの土曜日には
たとえ仕事で朝帰りした日でさえ
風呂に入った後、
一睡もせず遊びに出かけました。
そしてまた日曜日は仕事に向かいます。
仕事にも遊びにも
エネルギーが赤々と燃えていました。
つづく
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編集後記
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当時、
父と私の間には
絶対的に埋まらない溝が
存在していました。
本来、父親というのは
社会の常識を教える役割を
担う存在です。
従って、母親が子どもに
十分に愛情を注げている家庭であったなら、
当時、父が息子である私に対してとった行動は
必ずしも間違ってはいません。
しかし、母親が不在で
愛情不足に陥っていた私にとって
父の接し方は受け入れがたいものでした。
そして、
名古屋に逃げることになったわけですが、
以前にもメルマガでお伝えした通り、
家出をしている子どもは
実はとても大きな不安を抱えています。
「家に戻ろうかな」
ということを
人知れず考え迷っているのです。
実際に今回お伝えした
私の場合もそうでした。
名古屋の生活を楽しんでいる面もありましたが、
実は自分でも気づかないうちに
心に不安を抱えていました。
そして叔母にはめられて
驚いた反面、
むしろ安心した部分も
少なからずあったのです。
やはり、どれだけ
言葉や格好で強がっていたとしても
精神的には子どもです。
大人の保護を必要としているのです。
こんな風に
子どもの心の内が垣間見えれば、
ちょっとお子さんのことが
可愛く思えてきませんか?
もしかしたらあなたのお子さんは
憎たらしいことを言うかもしれません。
親の言うことを無視したり、
罵倒したり、
時には暴力を振るってくることも
あるかもしれません。
でもやっぱり心の中には
子どもなりの弱さを秘めているものです。
時には、お子さんの憎たらしい言葉に
イライラすることもあるかもしれませんが、
どうかお子さんの表面的な
部分に注目するのではなく、
視点を変え、
「なぜこの子はこんなことを言うんだろう?」
「この子は今、どういう気持ちでいるんだろう?」
と考えてみてください。
視点をずらし
お子さんの精神状態に注目することで
きっとあなたの苛立ちも緩和されますし、
あなたが本当にやるべきことも
自然と見えてくるはずです。
ぜひ参考にしてください。
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読者の方から頂いた喜びの声
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それでは本日も
読者の方から頂いたメッセージを
紹介させていただきます。
ririさんいただいたメッセージです。
お子さんが不登校になってから、
問題が解消に向かうまでの経緯を
詳細にご報告くださいましたので
今回から2回に分けて
紹介させていただきます。
一旦は問題が解決へ向かったように見えたのに、
また元の状態へと戻ってしまった
というご報告内容で、きっと
あなたにも参考にしていただけるはずです。
*******************ここから********************
中3の息子を持つシングルマザーです。
中2の頃から毎日遅刻で
一時は友達が毎日迎えに来ることで
遅刻はなくなったのですが
また遅刻の毎日になってしまいました。
段々と行く時間も遅くなり、
それが原因で大喧嘩し、
その喧嘩を機に不登校になりました。
私は子どもの頃、父の過干渉が酷く
自分がお荷物だと感じていました。
だからこそ親が困ることをわざとにしてました。
かなり厄介な子どもだったと思います。
私も当時の父のように、息子に対して
頭ごなしになってしまっていることに気付きながらも、
今更自分を変えられず
感情に負けてしまう日々でした。
息子との関係は悪化していくばかりでした。
伊藤さんのことを知ってメルマガを購読し始めました。
「感受性が強くプライドが高く気が弱い」
まさに、私のことだと思いました。
だから息子もこんな辛い思いをしていたのかと
心が痛くなる思いでした。
そして過干渉をやめてみました。
すると息子からゲームのことなど
話しかけてくるようになり、
目を見て話してくるようになりました。
私はビックリして、ただただ聞いていました。
それから息子は
「俺はニートになる」
と言い出しました。
なんて答えたらいいのかわからず
そのまま何も言わないで終わりました。
友達が朝息子を迎えに来て、
学校にいけた事もありました。
その時は、息子を見て
クラスのみんなも喜んでくれたらしく
息子も嬉しかったようです。
ところが急だったので、
息子は何も持っておらず
「帰ります」
と言って帰って来ました。
登校したはずの息子が
急にいなくなったことを心配して
先生が電話を下さいました。
帰って来た息子の前で先生に、
「家に帰ってきました」とメールしたところ
すぐ先生が家まで来てくれました。
短い時間とはいえ息子が登校したことを
先生も喜んでくださったようで、
「どうして帰ったのか」
「どうして学校に来たのか」
など、色々と話したそうです。
その後、私に対する息子の態度は
また元に戻ってしまいました。
私が先生にメールをしたら
先生が家に来たという一連の出来事が、
息子にとっては
私の息子に対する裏切り行為のように
感じたようです。
その後はまたどうしていいか
わからなくなってしまい、
私も焦るばかりで、
干渉してしまうこともありました。
つづく
*******************ここまで********************
ririさん、
詳細にご報告くださいまして
本当にありがとうございます。
>父の過干渉が酷く
と書かれていますが、きっと
ririさんご自身も
お父様との関係がうまくいかず
ずいぶん悩まれたことと思います。
潜在的にその記憶が離れず、
息子さんにも過干渉に
接してしまったのかもしれませんね。
しかし、過干渉を止め、
その結果、効果も見え始めて
本当に良かったです。
光が見えてきましたね。
愛情を与えるということが
どういうことなのか、
実感されたのではないでしょうか?
また、
>私が先生にメールをしたら
>先生が家に来たという一連の出来事が、
>息子にとっては
>私の息子に対する裏切り行為のように
>感じたようです。
と書かれていましたが、
やはり人の感情というのは
一筋縄ではいきません。
一足飛びに改善というわけにはいかなくても
過保護を続けていれば
改善と悪化を繰り返しながら、
必ず良いほうへ向かって行くものです。
改めてご報告くださったことに
感謝いたします。
また次回も紹介させていただきます。
ご報告、ありがとうございました。
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あなたも経験があるのではないでしょうか?
「あれ、昨日はあんなに機嫌良かったのに、
今日は昨日とは全然違う・・・
過保護にしているつもりなのに・・・」
という場面に遭遇したことが
きっとあるはずです。
でも、これはごくごく普通のことです。
もちろん、問題が一気に解決へと
向かうこともありますが、
たいていの場合は
良くなったり悪くなったりを繰り返し、
そして最終的に問題が解決していくのです。
ですから、もしあなたが、
目の前のお子さんの反応に
一喜一憂されているとしたら
そんな必要はありません。
どうか焦らないでください。
正しく過保護ができていて、
光が見えているのであれば
問題解決は時間の問題です。
辛抱強くお子さんを見守ってあげてください。
次回、ririさんのご報告の後編を
紹介させていただきますが、
ririさんも本当に辛抱強く
子育てを続けられていらっしゃいます。
ぜひ参考にしてください。
また、
あなたからのご報告もお待ちしています。
お子さんとの間に
何かしら嬉しいニュースがありましたら
ぜひご一報いただけましたら
これほど嬉しいことはありません。
どんな些細なことでも構いません。
「こんな嬉しいことありましたー!!」
というあなたからの一通を
いただけましたら幸いです。
それでは、本日も最後まで
ご覧いただきありがとうございました。
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