長女・綾乃さんの手記
◆思い出いろいろ―長女・綾乃の手記
伊藤家の二人の娘
長女・綾乃(右)と次女・麻衣(左)
<お風呂>
私の小さなときの記憶は、とてもあったかいものとして残っている。
お母さんが忙しく夕食を作り始めると、私も忙しそうに仕事をする。
玄関へ走って行き、うつ伏せになって、体が落ちないように手を伸ばして、靴をそろえる。
しばらくして汚れた作業着を着たお父さんが仕事から帰ってくると、「お帰りのチュー」をして、それから靴がきれいにそろっていることを、ほめてもらう。
そしてだいたい夕食の前に、お父さんとお風呂に入る。
よくお風呂でやったのは、湯船に浸かって汗をかいたころ、湯船に浸かったまま水道の水を飲んだこと。
手をうまく丸くして水を受ける。
でも私の手は小さくて、たくさんの水を受けられないし、受けてもすぐにこぼしちゃう。
だからお父さんの手から水を飲んでた。そうやって飲む水は、すっごくおいしかった。
<父と母>
家では、お母さんに甘えまくってたし、お父さんとは毎日とはいかなかったけど、寝る前にお布団で、「格闘技!!」とか言って叫んだりわめいたりして暴れまくってた。
その興奮のせいか、私は布団に入ってもなかなか寝つけなかった。
寝る時、お母さんが絵本を読んだり、昔話をしてくれた。
今、母親が子どもが寝る時に昔話をすることなんてある?(笑)でも、お母さんを一人占めしてるみたいでうれしくて、寝つくはずもなくって、自分がぺらぺらいろんなことをしゃべり出しちゃって、絵本どころではなかったね。
今でも昔読んだ絵本あるよ!
夏の夜は夕食のあと、お父さんも何度も散歩したな。星座なんて全部わからないけれど、空を見上げてゆっくり歩いた。お散歩コースの折り返し地点は両側が田んぼで、そこではお父さんと私たちは、身長差のせいではなくて、カエルの大合唱のせいで、お互いの声が届きにくかった。
そして私が寝る時には、お父さんは寝るまでうちわであおいでくれたり、頭をなででくれたりした。
<トシちゃん>
小さな頃から私の家から歩いて五分の距離におにいちゃん・おねえちゃんが何人か住んでいた。
彼らは毎日うちで朝食をとり、昼間はお父さんの知り合いが経営する会社で仕事をし、一度帰宅してからまたうちで夕食を食べる。
そして夕食の片づけがすんで少しすると、それぞれ家に帰っていく。
なかでもシャイでいつもにこにこしているトシちゃん(仮名)には、いろいろ思い入れがある。毎朝母に彼の家の電話番号を聞いて、電話をかけて、「起きてー」とだけ言って切るのは、私か妹の日課。トシちゃんは夕食の片づけがすむと、私たちとトランプをしたり、肩車をしたりして遊んでくれた。
手をつないで近くの自動販売機までジュースを買いに行ったり、タバコを買いに行くのに連れていってもらったりもした。すこし遠くのコンビニまで行って買ってもらったトランプは、もう先がすり切れて黄色くなってるけれど、今でも私と麻衣ちゃん(妹)の宝物。
そのうち、トシちゃんに毎朝の電話をするときは、お母さんに番号を聞かなくても、勝手にボタンを押すようになった。ステキな今でもその番号を押せば、トシちゃんが電話に出ること!
<弘くんのこと>
「小さい頃から家に他人がいてどう思った?」って聞かれてもねぇ・・・・・。なんとも思わなかったの。全然違和感がなかった。私も麻衣ちゃんも小さかったから、家にいるおにいちゃん、
おねえちゃんたちに気を使うこともなかったし、おにいちゃんたちがいることで、居心地が悪いことも、困ることもなかったからね。
だから悪いことは本当にないね。でもそれは両親がそう感じさせないくらい、いっぱい愛してくれたからかもしれないよね。
もし、私たち姉妹が年ごろになってから、おにいちゃん、おねえちゃんたちが家にいるようになったのなら、とまどいも大きかったと思うけど。
だけど一つ、心残りっていうか、後味の悪い思い出があるの。それは、こないだまで、一年間ぐらい、お父さんが家出面倒を見ていた弘くん(仮名)のこと。
弘くんは軽度発達障害で、今までお父さんが預かった子たちとは明らかに違っていた。乱暴するようなことはなかったけど、
とにかくコミュニケーションがとりにくいっていうか、お父さんや私たち姉妹が何を言い聞かせても、わかってくれないことが多かった。
家事の役割分担を決めても、守ってくれず、私たちやほかの子が家の用事で忙しく働いている時も、自分は何も手伝わないで、マンガを読んでいたり・・・・・。
お父さんはそんな弘くんを、よく怒っていた。お父さんが怒ると、私たち姉妹も神経質になった。「ヤバい。こんな時に私たちが何かまずいことをしたら、ますますお父さんが怒る・・・・」と。
弘くんは母親や兄や姉からひどい虐待を受け、養護施設に預けられたけど、盗みを繰り返し、養護施設も手を焼いて、お父さんが世話を引き受けた子だ。
私も最初、家族から虐待を受けた弘くんをかわいそうに思って、彼にはやさしく接してやろうと努力した。
しかし。こちらがいくらコミュニケーションをとろうとはかっても、弘くんにはあんまり通じないみたいだったな。
そんな時、すっごくショッキングな出来事が起こった。弘くんおとうさんのお財布から、全部で六万円も盗んだの!
お父さんは弘くんを叱りながらも、やさしく目をかけ、保育園の見習い保育士さん仕事を紹介した上に、彼に毎月、お小遣いをあげていたの。
それなのに・・・・・!私、もうほんとにショックで、麻衣ちゃんにすがって泣いちゃったよ。もちろんお父さんも大ショック・・・・・。
お父さんはうちのめされながらも、私たち姉妹に諭した。
「今回の盗みは、本当にいやな出来事だった。でも、弘のような子どもと一緒に住むのは、君たちにとっても、あとあとためになるんだよ・・・・・。だから許してやってくれ」
私はお父さんの言葉に一応は頷いたけれど、心の中では納得できなかったね。だって家のお金を盗んだ子と、同じ屋根の下で安心して暮らせる?
盗みのあとも弘くんは、わが家で生活していた。私は弘くんのやったことが許せなくて、ほぼ完全に彼を無視し始めた。
お父さんはますます弘くんに対して、神経質になった。それでも弘くんをなんとか更正させようと、今まで以上に彼に愛情を注いでいたみたい。お父さんは弘くんのことで疲れ、目の下に隈まで作っていた。
だけど、ある日突然、弘くんは言い出したの。「養護施設に戻りたい」って。それを聞いた時、私はもうめちゃくちゃ腹が立ったよ。
「今までさんざんお父さんの世話になっておきながら、今さら施設に戻りたいなんて・・・・お父さんへの裏切り行為じゃない?!」
もう私は「勝手にすれば!」と思った。
弘くんはわが家を去り、養護施設に戻った。でも弘くんがいなくなると、私は心残りのようなものを感じたんだよね。
「もう少し弘くんに、親身になってあげればよかったのかな・・・・・。そうすれば、弘くんももっと私たちに心を開いて、盗みなんかしなかったかもしれないのにな・・・・・」
そんな弘くんも、今ではちゃんと仕事をしていると聞いて、ちょっとほっとしているけれど。
ここで、私が以前、弘くんに出そうと思って出せなかった手紙を紹介します。
「弘へ
少し長いから、本が苦手な弘には大変かもしれないけど、
これからのことを考えるんだったら、全然大変じゃないと思う。自分のことでしょ?
だから時間をかけてゆっくり読んでほしい。
弘が家のお金を盗んだって聞いた時、ショックだった。すごいショックだった。
それ以来、弘の顔を見るのもいやだった。
弘は家族なんかじゃないって思った。
だって家族だと思ってたら、絶対にそんなことするわけないもん。
だから弘は、うちの家族じゃないよ。
そんなことをやってたら、家族ってどんなものか一生わからないよ。
今、弘にやさしくしてくれている人も、弘から離れていくよ。
信じられないなら、やってみればいい。どろぼうしたり、嘘ついたり・・・・・
そんな人には、私だって近づきたくない。
でも、生まれたときからどろぼう、生まれたときから嘘つきの人なんていない。みーんな、いいところも、悪いところも持ってるんだよ。
今回みたいに怒られたり、反省したりしながら、悪いところを見直すことはできる。そして弘のいいところを、もっと出したらいい。
どこが自分のいいところかわからなかったら、お父さんにでも、保育士さんにでも聞いてみたらいいよ。これ大事!!
もう一つ、もっと簡単にアドバイスしておくね。
もっと大きな声で話して!弘はいつも自信がなさそうで、声が小さくて、話しかけようと思っても、話しかけにくい。
あと、食事の時が、一番みんなと話をするチャンスなんだよ。
弘だったら、「保育園でこんなことをした」、「こんな子がいてかわいい!」、「こんな子がいて困っちゃう」、とか話して欲しい。
いつもみんな学校に行ってて、保育園なんて行ってるのは弘だけじゃん。おもしろいと思うよ。
いいところがあっても、みんなにわかるようにしないと、いいところがないのと同じだよ。
さっき言ったけど、みんないいところ、悪いところを持ってる。弘にもいいところはあるって、わかってるよ。
だから今回弘がお金を盗んだことは許します。
綾乃」
<両親の離婚を乗り越えて>
正気言うと、私は麻衣ちゃんとは違って、両親の離婚にはなんの不思議も感じなかった。
母が離婚することを私たちに告げた時のことは、よく覚えてる。私は麻衣ちゃんとはまったく違って涙も出なかったし、むしろ安心しちゃった。
ほんとに。私、麻衣ちゃんも両親の離婚の気配をうすうす感じていると思っていたから、麻衣ちゃんが泣き出した時は驚いたけど。
私は寝つきが悪くて、麻衣ちゃんがとっくに寝ちゃってからも、ベッドに入ってからは、少なくとも三時間はじっとしてた。だから、おやすみを言ってベッドに入ると、そう長くたたないうちに、両親のケンカが始まったりしたよ。よくドラマとかであるじゃない。
子どもが両親のケンカを聞くのがつらくて、耳塞いで布団の中にもぐってるシーン。あんな感じだね。
家を建てた中学一年から二年くらいになると、お父さんは小田原に事務所を置いた。いわゆる別居ってやつ。
お父さんから毎日電話は来たし、そのころは、「お母さんとケンカしているから、一緒に住まないんだ」、なんて考えには及ばなかったんだけど。
お父さんがたまに帰ってくるときは、やっぱりうれしかった。いつも何かお土産を持ってきてくれたし。
両親が別居をして、お母さんと麻衣ちゃんの女三人暮らし。私は時がたつにつれて、お母さんに対してすごく甘えるようになって、二階の部屋に閉じこもり気味だった私が、一階のリビング・キッチンにいる時間が、少しずつ増え始めていた。
お母さんと毎日一緒にお風呂に入るようになったのも、その甘えの一部。それからまもなく、両親は正式に離婚した。
両親が離婚してから、私は麻衣ちゃんを守らなくちゃっていう、重い重い責任感と闘ってた。
ちょうどいいくらいの責任感だったら理想だけど、少し過度だったよね。
離婚した年の三月十九日は、麻衣ちゃんの小学校の卒業式。私の卒業式の時には、お母さんとちゃんとした洋服を買いに行って、髪の毛もきれいにしてもらって、写真まで残ってる。
私が着た洋服が、どこにしまってあるかわからなくて、ひどく混乱して、麻衣ちゃんの髪もきれいにしてあげられなくて、自分にすごくがっかりした。
だから、十八日の夜は頭の中も胸の中もごった返して、ぐちゃぐちゃで大泣きしてた。
お父さんがいない時に夕食のおかずを作ることは、なんの苦痛でもなかったけれど、母親がそばにいないことでの不安とかコンプレックスを麻衣ちゃんが持たないように、「私がどうにかしなきゃ!」って気持ちには、かなり振り回されてた。
理想が先に行っちゃってて、その理想通りに行動できない自分が情けなくて、私、毎日泣いてたよ。
それでもなんとか、お父さんもお母さんも麻衣ちゃんも、自分のことも信じているし、今は離婚したっていう条件の中でも、最良の状態でやってると思う。
「信じている」っていうのは、やっぱりひとつの「離婚」ってことに対して、「家族」四人がそれぞれのものを持って向き合ったわけで、きっとお父さんもお母さんも麻衣ちゃんも、それを乗り越えたパワーで、またその先の何かに向かっている。
「父」・「母」・「長女」・「次女」ではなく、一人の人間として、それぞれの生き方をまっとうしている。
たとえば私は、大学でやりたいことを十分すぎるくらいに勉強して、その道のパイオニアになること。麻衣ちゃんは、私がいない家で家事をすること。大好きなダンスをやること。そして将来を模索すること。
離婚という出来事によって、私たちは後退はしていない。むしろそれを前向きなエネルギーに変えている。
私はもともと好奇心旺盛だし、人と会うのも好きみたい。だから、家族以外の人たちと、ひとつ屋根の下で暮らしていたことも、私の人格を形成するのに大きく影響している。
たくさんの人に支えられて今に至る―それは忘れていない。だから大切な人は、もっと大切にしたいし、幸せであるように祈っている。そして、これからもずっと、そういうことを心がけていきたい。
人との出会いを宝物にして、いい思い出をいっぱい作って生きていきたい。
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立派な子だなと思いました。愛情をきちんと受け止めている。まっすぐ表現する綾乃さんの感性は、こちらの気持ちに深く入りました。